
父と兄は満州で戦死し、義兄は広島での被爆者だったこともあり
今回私が長崎に行くことになった事には、父や兄たちの不思議な因縁を感じています。
8月6日早朝に千歳を出発し20代の若者も多い中、
私も北海道代表団164名の一員として大会に参加しました。
結団式の後、被爆者の小峰秀隆さんがお話をしてくださり、
本当に原爆の恐ろしさ罪深さを感じました。
開会総会では国連や政府代表、核兵器のない世界を目指す方々がスピーチを行ないましたが、
どの方もプラハのオバマ大統領の発言を取り上げて
「言葉だけに終わらぬように、核廃絶を実現しよう」とアピールしていました。
自由行動の中では原爆資料館を見学し、平和記念公園に折り鶴を納めにも行って参りました。
原爆資料館では、悲惨な展示ばかりで正視できないようなものが数多くあり、
黒こげの母親の遺体のそばで呆然と佇んでいる少女の写真などを目の当たりにすると涙が流れてしかたありませんでした。
原爆の実物大の模型はとても大きく、「こんな物を飛行機の腹に抱き飛んできたのか」と思うと身の毛のよだつ思いでした。
又、小峰さんのように勇気をもって語ってくださる方がいる一方で、
市内のスーパーで買い物をしている際に話しかけてくれたある女性達が
「他県の方に一生懸命に原爆禁止の活動をしてもらって申し訳ないけれど、
自分達は一歩引いて眺めているだけで参加する気になれない」と話すのを伺い、複雑な思いになりました。
子や孫の差別を恐れていまだに被爆者であることを明かさない人は多いとのことです。
実は義兄が被爆者だと私が知ったのも葬儀の際がはじめてでした。
私もこれからは孫達と戦争の体験を語り合っていこうと心に誓い、
語り継ぐことが、数少なくなった戦争体験者の使命だと痛感しました。
(2009年原水爆禁止世界大会に参加した増毛町在住の池田鈴子さんのお話の一部です。)

会議冒頭に「長崎の鐘」を歌う、留萌の合唱団メンバー。
まるで即興音楽会のようでした。
「長崎できく地元合唱団の「長崎の鐘」を聞いた際には本当に感動して目頭が熱くなりました。
今日のも良かったのですが」と池田さん談。